途絶えるとはそういう事

一生忘れる事はないでしょう


祖母が亡くなりました

初めて死を間近に感じました

祖父の時も叔父の時も息を引き取った後しか知りません

最後まで看取ったのは初めてです

今夜が山場だと言われた10月3日

病室に入って久しぶりに見た祖母はまた一回り小さくなった気がして

酸素マスクを付けてて呼吸もやっとしてる感じで

だけど必死に生きようとしてました

その姿が痛々しくて泣きそうになりながらも

ここで泣いてはいけないと我慢

今まで何回もお医者さんにあと何年って言われてきたけど

毎回その年月を越えてたし

何度入院したって帰ってきてたから今回も大丈夫だって思ってた

色んな事を考えました

最後にお見舞いに行った時30分も病室にいなくて帰された事

それがあってお見舞いに行きづらいと思った事

いつしかそれを言い訳にお見舞いに行かなかった事

行こうと思った頃風邪を引いてしまい、やっぱりいかなかった事

間接的に母から1日の出来事を聞いてたけど

やっぱり直接会う方がいいのはわかってたよ

次に会った時にもう会話も出来ないだなんて思ってもなかった

私は側から見たらいい孫に見える事はあったかもしれないけど

おばあちゃんからしたらどうだったんだろう?って今でも思います

嘘ついたし悪いこともした

数ヶ月も仕事してなくて迷惑もかけた

仕事とバイトの掛け持ちで心配かけた

この年になって泣かせてしまった

労わりもしないで自分のことしかしてなかった

喧嘩ばっかりしてた時もあった

ここ数年でやっと喧嘩も減ってやっと仲良しになれて嬉しかった

仕事から帰ってきてすぐご飯が出来てたり

ご飯までの時間におやつを用意してくれてたり

一緒にシュークリーム食べながら、何処のが一番おいしいかって話もしたね

あとクロワッサンね(笑)

食が合うから一緒にお茶をよくしてたね

そういう穏やかな時間がほっと出来て好きでした

何より家に帰ったら誰かいるっていう一般家庭では当たり前の事が

我が家では当たり前ではなかったので

やっぱりおばあちゃんと一緒に住んでて

明かりのついた家に「ただいまー」って帰るのが嬉しかったよ

ご飯もね本当においしかった

炊き込みご飯はもちろん

コロッケもポテサラも大好きでした

今年に入って照れたけど誕生日にお花をあげれたの

渡した時は「高かったじゃろ?お金ないのに」とか言ってたけど

おかんから「すっごい喜んどったよ」って聞いて渡せてよかったなって思う

日曜日になんだかんだ言いながらも一緒にスーパーに行けたのも思い返せばよかったなって思う

日常におばあちゃんがいるのは当たり前で

最後に触れた手はまだ温かくて

いなくなった今でもまだ入院して家にいないだけなんじゃないかと錯覚してしまいます

病院に行って確認すればわかる事だけどしないのは

まだ現実を受け入れる自信がないからあろうなって思います

だから未だに泣けないんだよ

もっと号泣すると思ってたけど泣き崩れるおかんを見て

どこかスイッチが入ったみたいに涙は止まってそのまま葬儀まで冷静

おかんが不安定だったから共倒れするわけにはいかないよ

すっかり泣くタイミングなくしちゃったよ(苦笑)

おばあちゃんは幸せでしたか?

最後まで幸せでしたか?

私は幸せでした

一杯いろんな事あったけど一緒に過ごした時間はとても幸せでした

自慢のおばあちゃんです

ずっと大好きだよ

                                      2007 12 6 奈々

 

自分の中で整理つけたかったというか

大事なこと、今の感情をここに残したくて書きました

見つかりにくいように過去記事に潜めます

うっかりこんな自己満足な記事にたどり着いてしまった方ごめんなさいm(_ _)m

 

しばらく『おにぎし』は聞けないな(苦笑)